氷は多いほど薄まりにくい? ジントニックを熱で考える
氷でぎっしり埋まったグラスに、ジンとトニックが注がれる。氷は縁近くまで積まれていて、これが全部溶けたらどれだけの水になるのだろう、と一瞬思う。それでもバーでは、氷は多いほうが薄まりにくい、と言われる。同じグラスを見ているのに、直感と経験則が正反対を向いている。
氷が多いことと、水が増えることは同じではない
ここでずれているのは、「入っている氷」と「飲み物に加わった水」を同じものとして数えていることだ。
グラスの中に固体のまま残っている氷は、まだ酒を薄めていない。ジントニックの濃度を下げるのは、そこから融けた分と、氷の表面にもともと付着していた水である。氷が10個あっても、融けたのが数gなら、加わった水も数gにすぎない。
薄まる量を決めているのは、グラスにある氷の量ではなく、そのうち何gが液体に変わったかだ。
では、その「融けた量」は何が決めているのか。
氷を溶かすのは、個数ではなく入ってくる熱
氷が融けるには、熱を受け取る必要がある。純水の物性値では、0℃の氷1gを0℃の水に変えるのに必要な熱は約334ジュール。温度を上げないまま、それだけの熱を吸収する。
氷の「冷たさ」だけで飲み物を冷やしている、という説明は半分しか合っていない。0℃近い氷なら、冷却の大きな部分を担うのは、固体から液体へ変わるときの熱の吸収だ。
つまり、冷えることと融けることは表裏の関係にある。飲み物やグラスから氷へ熱が移れば、その熱の一部を使って氷が融け、融けた水が希釈になる。
熱は飲み物からだけ来るわけではない。室温の空気やグラスを握る手からも、時間とともに入り続ける。飲み物が十分に冷えたあとも氷が減っていくのは、外から入ってくる熱を氷が引き受けているからだ。
「多いほど」ではなく、「足りなくしない」が正確
熱収支で考えると、冒頭の経験則も少し形を変える。
氷が少なすぎれば、飲んでいる途中ですべて融け、冷たさを維持する余裕がなくなる。一方、十分な量の氷が残っているなら、さらに足すほど初期の希釈が減り続けるわけではない。同じ材料を同じ温度まで冷やすために取り除く熱量は、大きく変わらないからだ。
Dave Arnoldらが2009年にシェークで行った実験でも、氷が少なすぎる条件では冷却が悪化し、氷を増やす効果はある量から先で頭打ちになると報告されている。Arnold自身、少量氷の元データの一部を失ったとしており、厳密な境界値は示していない。ジントニックをグラスに置いて飲む条件そのものではないが、「十分な氷」と「多ければ多いほど」は別だと考える手がかりにはなる。
「氷は多いほど薄まりにくい」というより、「氷を足りなくしない」と言ったほうが実態に近い。
同じ氷量でも、サイズ・温度・濡れ方で挙動は変わる
大きさが変えるのは、主に熱交換の速さ
同じ総重量なら、細かい氷ほど表面積は大きくなる。液体と触れる面が増えるため熱交換は速くなり、置いておく時間が長ければ、大きな氷より融けやすい傾向がある。
ただし、0℃近い乾いた氷を使い、十分に撹拌して同じ温度まで冷やす場合、氷の大きさだけで希釈量が大きく変わるとは限らない。Arnoldの比較でも、氷表面の水を遠心分離で除いた条件では、クラッシュアイスと大きな氷で最終的な希釈はほぼ同じだった。
同じだけ冷やすなら、必要になる融解量も大きくは変わらない。
濡れた氷と温かい材料は、別のところから希釈を増やす
表面が溶けかけた氷は、すでに液体になった水をまとっている。その水はグラスに入った時点で希釈として加わる。0℃の水も温まる過程で熱を吸うため冷却効果がゼロではないが、氷が融けるときに吸収する熱に比べれば小さい。クラッシュアイスで差が出やすいのは、表面積が大きく、付着水を抱えやすいことも一因だ。
反対に、冷凍庫から出したばかりの氷は0℃まで温まるあいだ、融けずに熱を吸収できる。ただし、希釈を抑えるためにもっと直接的なのは、氷へ渡す熱を最初から減らすことだ。
ジンもトニックもグラスも冷えていれば、目標の温度まで下げるために氷が引き受ける熱は少なくなる。薄めたくないなら、氷の個数だけでなく、最初にどれだけ熱を持ち込むかを見るほうがいい。
グラスの中の氷は、飲み物を冷やす道具であると同時に、周囲から入る熱を受け止め続ける装置でもある。次の一杯では、何個入っているかではなく、どこから熱が入っているかを見てみるといい。氷の量も、大きさも、材料の温度も、飲むのにかける時間も、そこでようやく同じ話としてつながる。