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SPIRITS JOURNAL

ピートはなぜウイスキーに残ったのか|燃料から香りへの変化

ピートはなぜウイスキーに残ったのか|燃料から香りへの変化

ピートはなぜ、燃料でなくなってもウイスキーに残ったのか

1662年、スコットランドの製麦法を書き残した記録に、麦芽を乾かす燃料の比較が出てくる。そこで「もっとも良い」とされたのは、ピートだった。同じ記録は、燃料の違いが麦芽の味にも印象を残すことに触れている。燃料の話なのか、味の話なのか。ピートは、その両方の顔を最初から持っていた。

1662年のピートは、燃料であり、味を変えるものでもあった

ピートは、水を含んだ土地で植物が分解されきらずに堆積したものだ。乾かせば燃える。ウイスキーづくりでは、発芽させた大麦を乾燥させるキルンの燃料として使われてきた。麦汁に何かを加えるのではなく、麦芽を乾かす段階で煙にさらす。煙の成分が麦芽に移り、その香りが酒へつながる。

17世紀にロバート・モレイがまとめたこの記録は、ウイスキー専用の製麦マニュアルではない。スコットランドで麦芽をどうつくるかという一般的な記述であり、ピートを最初に誰が、何のためにウイスキー用の麦芽へ使ったのかまでは分からない。

それでもこの資料は、よくある二つの説明を同時に揺らす。煙の味は誰にも気づかれない偶然だった、という話も、最初から香りづけのために選ばれた、という話も、資料が語る以上に単純だ。燃料として優れていることと、その燃料が味を左右すると知っていることは、両立する。

ピートは、蒸留所の外でも燃えていた

1811〜1821年の旅をもとにしたジョン・マカロックの記録を読むと、ピートは蒸留所だけの特別な材料ではなく、ハイランドや西部諸島の暮らしと結びついた燃料だったことが見えてくる。家の火も、ピートで燃えていた。

ただし、二つ注意がいる。ひとつは、地域差だ。島によってはピートが乏しく、別の燃料に頼らなければならない土地もあった。もうひとつは、コストの話。購入費がかからない場合でも、切り出し、乾かし、運ぶ労働は決して軽くない。タダだったのではなく、金銭以外の形でも負担があった。

ピートが使われた背景には、香味の設計より前に、その土地で何が燃やせたかという条件がある。

コークスとの併用で、熱と煙の役割が見えてくる

1924年のロングモーン・グレンリベットの訪問記事は、キルンの火をまずピートで焚き、約20時間後にコークスを加える工程を伝えている。ピートだけで乾かしているわけではない。

翌1925年のグレンギリー(Glengarioch)の記事はさらに踏み込む。乾燥には煙の出ないコークスが主に使われ、その性質が評価されている。一方でピートも使われ、それによってウイスキーが「peaty flavour」を得ると説明されている。

いずれも一蒸留所の一時点の記録であり、当時の業界標準ではない。それでも、ここには重要な分岐が見える。煙の出ない燃料でも麦芽を乾かせるなら、ピートを併用する理由は熱だけでは説明しきれない。煙による香味という役割が、記事の中ではっきり言語化されている。

1920年代に香りづけが始まった、という話ではない。熱と煙という二つの機能が、別々の役割として記述されているのである。

熱を別に確保しても、煙は残せる

製麦設備の近代化とともに、乾燥に必要な熱はピート以外の熱源でも確保できるようになった。その先に現れたのが、熱と煙を切り離す方法だ。

製麦会社のベアーズ・モルトは、自社の現行工程について、現代のキルンは主にガスを熱源とし、ピーテッドモルトでは別のピート火から煙を乾燥用の空気へ加えると説明している。同社の方式であり、すべての製麦所が同じ設備を使っているわけではない。

だが構図ははっきりする。かつては一つの火が熱と煙を同時に供給していた。いまは、熱を別に確保したまま、煙だけを選んで加えることができる。

最初に誰が、何のためにピートを焚いたのかは、確認できた資料からは分からない。分かるのは、それが燃料として記録され、味への作用も知られ、やがて熱源としての必然性を離れても煙の役割が残された、という道筋だ。

ピーテッドウイスキーは、煙を足した酒というより、燃料だったものの一部を、必要がなくなった後もあえて手元に残した酒である。

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