なぜジンは「置き換え」の利く酒になったのか。19世紀カクテルの変化を読む
1884年に出たバーテンダー向けの手引きに、マティネス・カクテルという項目がある。説明は、ほとんど一行しかない。マンハッタンと同じ、ただしウイスキーをジンに替える——それだけだ。
一つの酒をもう一つの酒に入れ替えるだけで、別の名前を持つ一杯が成立する。当時のバーで、なぜジンはそこまで置き換えの利く存在になっていたのか。
最初から、ジンが主役だったわけではない
1862年、ジェリー・トーマスのバーテンダー向け書には、ジン・カクテル、ジン・パンチ、ジン・フィックス、ジン・サワーが並んでいる。この時点で、ジンはすでに混ぜて飲む酒として定着していた。
ただし、同じ本にはブランデーやウイスキーを基酒にした飲み方も並ぶ。ジンは有力な選択肢のひとつではあっても、突出した中心ではない。
「なぜ昔からジンだったのか」ではなく、「なぜ1860年代以降のジンは、新しく生まれた飲み方に次々と入り込めたのか」。 問うべきなのは、こちらだ。
1880年代、カクテルの「型」がジンを迎え入れた
変わったのはジンの側だけではない。1880年代、以前からアメリカに入っていたベルモットが、バーの材料として広く使われるようになる。スピリッツにベルモットを合わせる構造が定着し、マンハッタンはその代表的な一杯になった。
冒頭の一文が意味を持つのはここだ。ウイスキーをジンに替えられたのは、すでに「型」があったからで、ジンのために型がつくられたわけではない。
1895年、ウィリアム・カッペラーが記録したマティーニは、オールド・トム・ジンとイタリアン・ベルモットを同量で合わせ、オレンジビターズを加えるものだった。今のドライ・マティーニとは、使うジンも比率も違う。同じ名前の一杯を、現代の味から逆算して読むことはできない。
ジンは、違う「型」にも居場所を持った
同じ1895年の本には、マティーニと並んでジン・フィズ、ジョン・コリンズ、トム・コリンズが載っている。1908年のウィリアム・ブースビーの本にも、ジン・フィズ、ジン・リッキー、オールド・トム・ジン・フィズが独立した項目として置かれている。
コリンズやフィズは、柑橘、砂糖、炭酸を使うロングドリンクだ。ステアして冷やすマティーニとは設計が違う。それでもジンは、その両方に残った。
しかもカッペラーは、ジョン・コリンズにはホランド・ジン、トム・コリンズにはトム・ジンを指定している。同じ「ジン」という語の下で、すでに用途による使い分けがあった。
つまり、ジンの強みは、一つの味が何にでも合ったことではない。複数のスタイルがあり、異なるカクテルの型に割り当てられたことにある。
カクテルが変わる間に、ジンそのものも変わっていた
19世紀末の“gin”は、ひとつの固定した味ではない。ホランド・ジンやジュネヴァ、オールド・トム、プリマス、ドライなイングリッシュ・ジンが並存していた。1908年のブースビーには、オールド・トムを使うマティーニと、プリマスを使うブロンクス、ドライ・イングリッシュ・ジンを使うドライ・マティーニが載っている。
供給側でも変化が進んだ。19世紀のイギリスでは連続式蒸留の普及によって、よりニュートラルなベーススピリッツを得やすくなった。19世紀末には瓶詰めとブランド化が進み、無加糖のジンも存在感を増していく。
1916年の『Jack’s Manual』では、ゴードンのドライ・ジン、プリマス・ジン、トム・ジンがレシピごとに使い分けられている。禁酒法以前に、ドライ・ジンはすでにバーの実務レパートリーに入っていた。
「ジンはカクテルに向いていた」という静的な説明だけでは足りない。 カクテルの型が増えた時期に、ジンの内部でもスタイルと商品が動き、バーテンダーが用途ごとに選べる酒になっていた。
古いレシピの材料欄に“gin”とだけ書かれているとき、そこに現代のロンドン・ドライを自動的に当てはめる必要はない。この時代の、この飲み方では、どんなジンが想定されていたのか。
置き換えが利いたのは、ジンが一種類だったからではなく、「ジン」という一語の下に複数の選択肢があったからだ。 そう問い直すと、クラシックカクテルは固定されたレシピ集ではなく、酒とバーが同時に変わっていった時期の記録として読めるようになる。