RUM、RHUM、RON。三つの綴りからラムの歴史を読む
ラムのボトルを並べると、綴りが揃わない。RUM、RHUM、RON。同じ蒸留酒のはずなのに、ラベルの一語目から三通りに分かれている。
EU規則の同じ条文を英語版、フランス語版、スペイン語版で読み比べると、同じカテゴリーがそれぞれRum、Rhum、Ronと書かれている。つまり少なくともEUの制度上、この三語は同じカテゴリーの各言語表記だ。
それでも私たちは「スパニッシュ系」「フレンチ系」「ブリティッシュ系」という区分けを耳にする。翻訳の違いにすぎないなら、なぜ三つの伝統が語られるのだろうか。
RUM / RHUM / RONは、まず「3種類」ではない
答えの半分は拍子抜けするほど単純で、綴りの違いは第一に言語の違いである。英語ではrum、フランス語ではrhum、スペイン語ではron。
一方、Spanish(Cuban)、French、Britishという整理は、WSETが「production tradition」——生産の伝統——として扱っているものだ。法的な三分類ではなく、ラムを理解するための歴史的な整理である。
綴りは言語のレイヤー、生産伝統は歴史のレイヤーで、もともと別のものを指している。
だからrhumと書いてあるからアグリコール、ronと書いてあるからソレラ、という読み方は成立しない。ただ、この二つのレイヤーがしばしば重なって見えるのには理由がある。
違いを生んだのは、言葉より砂糖と植民地の歴史だった
カリブ海のラム史をたどると、砂糖産業とラム製造が深く結びついている。17世紀のバルバドスでは、砂糖、糖蜜、ラムが同じプランテーション経済の中で生産され、その体系は奴隷労働に大きく依存していた。
重要なのは、その産業がどの植民地圏に置かれていたかで、市場や輸出先、設備、制度の発達する経路も分かれていったことだ。
英語だから、フランス語だからこの味になったのではない。言語と生産伝統が、同じ植民地史の上に重なって残ったのである。
言語は味の原因ではない。ただ、どの歴史圏と結びついてきたかを知る手がかりにはなる。
キューバ、マルティニーク、ジャマイカ——三つの土地で別の標準が育った
三つの伝統を理解するには、味の形容詞より、それぞれの土地で何が起きたかを見るほうが早い。
キューバ——軽い原酒を育てた系譜
ユネスコの記録では、キューバの「ライトラム」の伝統は1862年、サンティアゴ・デ・クーバに始まったとされる。現在の「Cuba」GI仕様では、キューバ産サトウキビから得た糖蜜を原料とし、白樫の樽で熟成することが定められている。
糖蜜から比較的軽い原酒をつくり、熟成とブレンドで仕上げる。その考え方がキューバの一つの標準になった。
マルティニーク——製糖危機がサトウキビ汁を押し出した
マルティニークで発達したのは、糖蜜ではなくサトウキビ汁を直接発酵・蒸留するrhum agricoleだ。AOCの資料では、1884年から1896年の製糖危機で競争力を失った一部の農園が砂糖生産をやめ、サトウキビ汁からのラム生産へ転換した経緯が記されている。現在のマルティニークAOCもrhum agricoleに限定される。
砂糖をつくる条件の変化が、ラムに使う原料まで変えた。
ジャマイカ——発酵そのものが個性になった
ジャマイカでは、一部の蒸留所が長い発酵や酵母・細菌の働きを利用し、高いエステルを持つ原酒をつくってきた。蒸留や熟成より前の段階、つまり発酵の設計そのものが強い個性を生む。ただし、ジャマイカのラムがすべて高エステルというわけではない。
3分類は地図にはなる。境界線にはならない
ここまでの三つは代表例であって、定義ではない。実際の産地を見ると、輪郭はすぐに崩れる。
グアドループやレユニオンでは、サトウキビ汁を使うrhum agricoleだけでなく、製糖由来の原料を使うrhum de sucrerieも認められている。フランス語圏だからアグリコール、とはならない。
グアテマラのRon de Guatemalaは、糖蜜ではなく「virgin sugar cane honey」と呼ばれるサトウキビ由来の濃縮糖液を使い、高地で熟成する。GIには複数のSoleraカテゴリーがあるが、それはグアテマラ固有の規則であって、ronという語そのものがソレラを意味するわけではない。
典型を知る価値は、例外を弾くことではなく、例外がなぜ生まれたかを見えるようにすることにある。
三つの伝統は、地域史を読むための地図としてよく機能する。ただし個々のボトルを自動的に振り分ける境界線ではない。
RUM、RHUM、RONという綴りは、味の答えではなく、その酒がどの言語圏・歴史圏と結びついているかを考える最初の手がかりだ。次に産地を見て、原料を見て、発酵と蒸留、熟成とブレンド、そして産地の規則を見る。三つの箱に分けるより、その順に視線を進めるほうが、目の前の一本はよく見える。