ラムと葉巻は、いつから「キューバの定番」になったのか
ハバナで開かれる葉巻の祭典では、キューバ産のラムと葉巻が「キューバというアイデンティティの組み合わせ」として公式に並べられる。今では、その光景に違和感を持つ人はほとんどいない。
では、この組み合わせはいつからのものなのか。
二つを結んでいるのは、味より先に商品史だった
ラムは17世紀のカリブ海で、砂糖生産の副産物を発酵・蒸留する酒として発展した。17世紀半ばのバルバドスにはすでにラムの記録があり、やがて大西洋を動く商品になっていく。
一方のタバコも、キューバから世界へ出ていく重要な商品だった。19世紀にはピナール・デル・リオを中心に生産が拡大し、1934年の米国国務省文書でも、砂糖に続いて「キューバの生産で第二に重要」と位置づけられている。
つまり、ラムと葉巻の背後にあるのは、同じ大西洋交易圏で動いていた砂糖とタバコである。両者は「一緒に楽しまれたから近づいた」のではなく、まず同じ経済のなかで隣り合っていた。
その経済は、優雅なものではなかった。カリブ海の砂糖生産は奴隷労働と深く結びつき、近年の研究は19世紀キューバのタバコ栽培でも多数の奴隷が働いていたことを改めて示している。フェルナンド・オルティスが1940年の『キューバの対位法——タバコと砂糖』で二つを対置したのも、特産品の比較ではなく、それらを通してキューバ社会を読むためだった。
19世紀、二つの「キューバ製品」が輪郭を持った
ただし、同じ経済圏にあることと、一組に見えることは違う。
1873年刊行のウォルター・グッドマンの旅行記には、ハバナのカフェで売られる葉巻や、天井近くまで箱が積まれた倉庫が描かれている。彼の目には、タバコがすでに街を語る代表的な商品として映っていた。
ラムの側にも変化があった。EUで公表された「CUBA」ラムの地理的表示資料は、ラムそのものがキューバ発祥ではないと明記する一方、19世紀のキューバで軽く繊細なスタイルが発展したと説明している。1862年にはサンティアゴ・デ・クーバで、軽く透明な高品質ラムがつくられていたという。
キューバが持っているのはラムの発明者という座ではなく、独自のスタイルを育て、世界に印象づけた歴史のほうだ。
同じ19世紀に、ラムと葉巻はそれぞれ独立して「キューバらしいもの」になった。まだ、必ずしも一組ではない。
葉巻の相棒は、ラムだけではなかった
ここで、話は一度反転する。
1888年にニューヨークで刊行された上流社会向けの作法書では、晩餐後、喫煙する男性客にリキュール、コニャック、葉巻、紙巻きが供されると説明されている。酒と葉巻を食後に楽しむ習慣はあった。しかし、そこにラムの名前はない。
ハバノス・フェスティバルでも、葉巻はラムだけでなくアルマニャックやリオハのワインなど、さまざまな酒と組み合わされてきた。
**「葉巻の古典的な相棒はラムだけ」という歴史ではない。**少なくとも確認できる史料からは、ラムと葉巻の組み合わせを「誰かが始めた一つの習慣」に還元するのは難しい。
「キューバ体験」の中で、二つは近づいた
では、現在のセット感はどこから来たのか。
一つの手がかりが、20世紀の観光にある。米国で禁酒法が始まった1920年代、酒や娯楽を求める米国人旅行者がハバナを訪れ、バーやホテルなど観光都市としての空間が拡大した。
同じ頃、葉巻もキューバを外へ伝える記号になっていた。1927年、ハバナからキーウェストへ飛んだパンアメリカン航空の初期航空郵便の封筒には、キューバ葉巻を称える宣伝文句が入っている。
禁酒法がラムと葉巻のペアリングを発明したわけではない。ただ、酒、葉巻、夜の娯楽が、一つの「ハバナ体験」のなかで消費される状況は強まった。別々に育った二つのキューバ商品が、同じ風景のなかで見られる機会が増えたのである。
そして現在、その結びつきを明確に言語化しているのが産業自身だ。2016年のハバノス・フェスティバルでは、ハバノスとハバナクラブのペアリングが「キューバのアイデンティティ」を結ぶものとして打ち出された。
いま見慣れたラムと葉巻の並びは、古い民俗習慣がそのまま残ったものというより、交易、観光、そしてブランドによって少しずつ形づくられてきた。
バーの棚で二つが並んでいるとき、そこにある関係は味覚だけでは説明できない。嗜好品の「定番の組み合わせ」は、ときに舌より先に、歴史がつくっている。