投稿者: spiritsjournal

  • ジンはボタニカルが多いほど複雑なのか。香りを決める本当の要因

    ジンはボタニカルが多いほど複雑なのか。香りを決める本当の要因

    ボタニカルが多いほど、ジンは複雑になるのか

    ボトルの裏を見ると、数字が書いてあることがある。10種類。20種類。47種類。数が大きいほど、香りの数も多く、そのジンは複雑なのだろう——そう読みたくなる。

    けれど、その数字は何を数えているのだろうか。

    「何種類」と「どれだけ複雑か」は、別の物差し

    ボタニカルの数が示しているのは、レシピに使われた植物素材の種類だ。ジュニパー、コリアンダー、柑橘の果皮、根、樹皮、花。それぞれを一つと数えた合計であって、香気成分の数でも、飲み手が感じ取れる香りの数でもない。

    一つの植物には複数の香気成分が含まれ、性質の近い成分が別々の素材から持ち込まれることもある。素材を一つ足すことは、香りを一つ足すことと同じではない。

    少なくともEUの酒類規則がジンに求めるのは、ジュニパーで風味付けされ、その味が支配的であることなどで、ボタニカルを何種類使うかという要件はない。数の多さは制度上の品質基準ではない。

    さらに官能科学でも、「複雑さ」には一つに定まった定義がない。化学的な要素の多さと、人が飲んで感じる複雑さは分けて考える必要がある。

    それでも、種類が増えれば「可能性」は広がる

    では数は無意味かというと、そうではない。

    ドイツの研究では、50種類以上のボタニカルを使うジンと15種類のジンを比較している。香気成分のプロファイルには違いがあり、官能評価でも、前者では柑橘やオレンジ、果実を思わせる印象がより強く現れた。異なる素材を使えば、異なる香気成分を持ち込む機会が増えることは考えられる。

    ただし、これは種類数だけを変えた実験ではない。同じ蒸留所の別製品で、配合など他の条件も異なる。50種類だから複雑になった、という因果までは言えない。

    種類数は、完成品の採点ではなく、設計の幅を示す情報に近い。

    香りを決めるのは、材料表よりも「量」と「残し方」

    材料が同じでも、量が違えば結果は変わる。

    ジュニパーベリーを蒸気で抽出した研究では、ボタニカルの投入比率、仕込み量、初期のアルコール濃度を比較したところ、測定した香気成分の抽出に最も大きく影響したのは投入比率だった。何を使うかだけでなく、どれだけ使うかが香りを動かす。

    さらに、蒸留はボタニカルの香りをそのまま瓶へ移す作業ではない。商業蒸留所でジンの留出液を時間ごとに分析した研究では、ヘッド、前半のハート、後半のハート、テールで揮発成分の構成が変化した。揮発性の高い成分は早い段階で減り、より揮発しにくい成分の一部は後半で増えていく。

    つまり、どこまでを製品に残すかというカットも、最終的な香りを変える。

    レシピに素材名があることと、その香りが同じ強さで瓶に残ることは、別のことだ。

    鼻は、増えた香りを一つずつ数えていない

    最後に、飲み手の側にも限界がある。

    人が香りの混合物をどう識別するかを調べた実験では、二つを超えると個々の香りを言い当てることが難しくなり、四成分の混合では各成分の識別が偶然と変わらない水準になった。

    もちろん、「人間は四種類までしか香りを感じられない」という意味ではない。感じることと、一つずつ分解して名前を付けることは違う。それでも、香りは単純な足し算として知覚されるわけではない。 47種類のボタニカルを使っても、47の香りが整然と並んで感じられるわけではない。

    複雑さを見るなら、要素が何個あるかより、どれが前に出て、どれが背後を支え、全体としてどうまとまるかを見るほうが近い。

    ボタニカルの数字は、評価点ではない。つくり手が選んだレシピを読み始めるための入口だ。

    次にボトルの説明を見るときは、種類数の隣にもう一つ問いを置いてみるといい。この作り手は、何を主役にして、何を脇に回したのか。

  • ラムはなぜ「海の酒」になったのか?英国海軍と砂糖の歴史

    ラムはなぜ「海の酒」になったのか?英国海軍と砂糖の歴史

    ラムはなぜ「海の酒」になったのか——砂糖、海軍、海賊のあいだ

    ラムのボトルには、いまも帆船や海賊旗が描かれている。海の酒、という了解は、ほとんど疑われることがない。ところが1731年のイギリス海軍の規則を開くと、ラムは唯一の海軍酒どころか、海外航海でビールに代えて使える数種類の酒の一つとして並んでいる。海賊のイメージだけでは、この酒が何世紀も海と結びつき続けた理由は説明できない。

    船の前に、砂糖の島があった

    ラムが船に積まれるためには、まず大量のラムが存在していなければならない。それをつくったのは、カリブ海の砂糖だった。

    1657年にバルバドスを記録したリゴンは、砂糖を煮詰める工程で浮いてくるカスを集めて蒸留し、「キル・デヴィル」と呼ばれる強い酒にしていたことを書き残している。ラムの初期の姿は、砂糖づくりの副産物からつくられる酒だった。

    1655年、イングランドはジャマイカを攻略する。島はその後、砂糖プランテーションの経済へ組み替えられていった。その生産量を支えたのは、大西洋を越えて連れてこられた人々の奴隷労働だった。 砂糖が増えれば、蒸留に回せる副産物も増える。ラムが海へ出る条件は、船の上ではなく、島の製糖工場と、そこで働かされた人々の上に整えられていた。

    1731年、ラムは「唯一の海軍酒」ではなかった

    1731年の海軍規則には、乗組員に与える食糧と飲料が細かく書かれている。飲料の基準はビールで、1人1日1ガロン。そして海外航海で配給内容を変更する場合、1パイントのワイン、あるいは半パイントのブランデー、ラム、アラックを1ガロンのビールに相当するものとして扱った。

    少なくとも規則の上で、ラムだけが特別な海軍酒として扱われていたわけではない。

    何を積むかには、好み以上に、その海域で何を安定して調達できるかが大きく効いた。そしてカリブ海と大西洋の航路には、砂糖とともにラムがすでにあった。海軍とラムを結んだ大きな線の一つは、嗜好ではなく補給の側から引かれている。

    1740年、水割りはまず規律のためだった

    1740年8月21日、西インド諸島の艦隊を率いていたヴァーノンが命令を出す。1人1日半パイントのラムを1クォートの水で割ること。当直士官の監督のもとで調製し、午前と午後の2回に分けて配ること。

    背景にあったのは、ストレートのラムを一度に飲み干すことによる酩酊と、それが招く健康と規律の問題だった。

    水割りは飲み方の工夫ではない。量、濃度、時間、場所を海軍が握るための設計だった。

    この水割りは、やがてグロッグと呼ばれるようになる。柑橘を加えて壊血病を防ぐ知恵として語られることもあるが、1740年の命令がまず定めたのは、ラムを薄め、監督下で二度に分けて配る手順だった。

    制度は1970年に終わり、「海の酒」という像は残った

    1883年に単行本化された『宝島』のような海賊物語を通じて、海賊とラムの結びつきは強い文化記号として広まっていく。その一方で、海軍のラム配給は物語ではなく制度として続き、20世紀まで生き延びた。

    最後の定期配給は1970年7月31日。理由として挙げられたのは経費ではなく、複雑な機器を扱う現代の艦艇で求められる効率と安全だった。同じ酒が、かつては長い航海の補給に適した選択肢となり、最後には任務との両立が難しいと判断された。

    制度は終わり、それでもイメージは残った。今日の「ラム=海」という感覚は、植民地の生産と、海軍の補給と、文学の記憶が重なった場所に立っている。

    次にラベルの帆船を見るとき、そこにあるのは海賊の冒険というより、砂糖の島と、それを運んだ航路と、酒を配り続けた制度の痕跡に近い。酒に強い文化イメージがついているときは、象徴そのものより、誰がつくり、何が運び、どの制度が反復したのかを追うほうが、輪郭ははっきりする。

  • なぜ蒸留所はウイスキーより先にジンを出すのか|製造と熟成の違い

    なぜ蒸留所はウイスキーより先にジンを出すのか|製造と熟成の違い

    なぜ蒸留所は、ウイスキーより先にジンを出すのか

    ウイスキーの蒸留所が、ウイスキーより先にジンを出す。焼酎蔵がジンを出し、ラムの造り手もジンを出す。理由を尋ねると、たいてい「ジンは造りやすいから」という答えが返ってくる。

    だがこの説明は、工程のどこが短いのかを教えてくれない。短くなっているのは技術の難易度ではなく、酒が商品になるまでの時間と、自前で持たなくてよい設備の量だ。

    出発点は、買ってくることができる

    EUの規則では、ジンは農産物由来のエチルアルコールにジュニパーベリーで香味を付け、ジュニパーが主体になった蒸留酒と定義される。製法要件がより細かいDistilled Ginでも、使う農産物由来エチルアルコールの初期アルコール度数は96%vol以上とされている。それを自分の発酵槽から得なければならない、とは定められていない。米国でも、もろみからの蒸留だけでなく、既存の蒸留酒の再蒸留や、ニュートラルスピリッツを使う製法が認められている。

    糖化、発酵、そして高純度まで精留する設備。ジンでは、その前半を外から調達する設計が成立する。

    ジンで省けるのは、蒸留の技術ではなく、蒸留までの工程だ。

    熟成しないことは、味ではなく時間の話

    EUや米国の一般的なジン規定には、ウイスキーのように一定期間の樽熟成を求める要件がない。米国ではオーク容器で熟成することも認められているが、それは選択であって条件ではない。

    新しい蒸留所にとって、この差は大きい。設備が動き始めた日と、ウイスキーを売れる日のあいだには熟成期間がある。スコッチ業界出身のStuart Nickersonは、ジンから事業を始めた理由の一つとして、熟成期間がなく、キャッシュフロー上の負担が小さいことを挙げている。Witchmark Distilleryも、ジンとウォッカは資金面だけでなく、ウイスキー発売前にブランドや販路、飲み手との接点をつくる役割があると説明する。

    先に売れる酒があるということは、先に名前を覚えてもらえるということでもある。 もちろん、ジンを出せば売れるわけではない。その先は別の仕事だ。

    同じ蒸留器で造れることと、共用していいことは別

    ボタニカルの香りを移す代表的な方法の一つは、ジュニパーなどを液中に入れて一緒に蒸留するやり方だ。一般的なポットスチルでも成立する。蒸気をボタニカルの入ったバスケットへ通す方法なら、別の機構が必要になる場合もある。

    Kavalanでは、もともとシングルモルト用に導入したドイツ製スチルを、のちにジン製造へ転用したと同社関係者が説明している。

    ただし、ベースのアルコールを造る蒸留と、香りを移す蒸留は別の仕事だ。多くのウイスキー用ポットスチルは、ニュートラルスピリッツを得るための高精留設備とは役割が違う。

    ウイスキーの蒸留器でジンは造れても、ジンの出発点までは造れないことがある。

    そして共用すれば、切り替えの問題も出る。前の蒸留の香味成分が設備内に残れば次の製品へ影響するため、洗浄や停止時間が必要になる。生産量が増えれば、専用設備を置く意味も大きくなる。

    日本では、蒸留器より先に免許がある

    日本で酒類を造るには、製造する品目ごと、製造場ごとに製造免許が必要になる。酒税法上、ジンは独立した品目ではなく「スピリッツ」に分類される。焼酎やウイスキーの免許と使える蒸留器があっても、それだけでジンを製造できるわけではない。

    SAKURAO DISTILLERYは2018年にジンとウイスキーの蒸留を開始した。SAKURAO GINには広島産の柑橘やヒノキなどが使われている。

    ボタニカルは、熟成年数を待たずに土地の特徴を一本へ載せられる材料でもある。

    ジンのラベルには、たいていボタニカルの名前が並ぶ。だが、書かれていないほうが、その蒸留所を語っていることもある。ベースのアルコールをどこから持ってきたのか。香りをどの蒸留器で移したのか。待つ時間を埋めるための一本なのか、初めから主役として設計された一本なのか。

    ジュニパーの後ろにあるその選択が見えてくると、同じ棚の並びが少し違って見えてくる。

  • RUM・RHUM・RONの違いとは?ラムの綴りと3つの生産伝統

    RUM・RHUM・RONの違いとは?ラムの綴りと3つの生産伝統

    RUM、RHUM、RON。三つの綴りからラムの歴史を読む

    ラムのボトルを並べると、綴りが揃わない。RUM、RHUM、RON。同じ蒸留酒のはずなのに、ラベルの一語目から三通りに分かれている。

    EU規則の同じ条文を英語版、フランス語版、スペイン語版で読み比べると、同じカテゴリーがそれぞれRum、Rhum、Ronと書かれている。つまり少なくともEUの制度上、この三語は同じカテゴリーの各言語表記だ。

    それでも私たちは「スパニッシュ系」「フレンチ系」「ブリティッシュ系」という区分けを耳にする。翻訳の違いにすぎないなら、なぜ三つの伝統が語られるのだろうか。

    RUM / RHUM / RONは、まず「3種類」ではない

    答えの半分は拍子抜けするほど単純で、綴りの違いは第一に言語の違いである。英語ではrum、フランス語ではrhum、スペイン語ではron。

    一方、Spanish(Cuban)、French、Britishという整理は、WSETが「production tradition」——生産の伝統——として扱っているものだ。法的な三分類ではなく、ラムを理解するための歴史的な整理である。

    綴りは言語のレイヤー、生産伝統は歴史のレイヤーで、もともと別のものを指している。

    だからrhumと書いてあるからアグリコール、ronと書いてあるからソレラ、という読み方は成立しない。ただ、この二つのレイヤーがしばしば重なって見えるのには理由がある。

    違いを生んだのは、言葉より砂糖と植民地の歴史だった

    カリブ海のラム史をたどると、砂糖産業とラム製造が深く結びついている。17世紀のバルバドスでは、砂糖、糖蜜、ラムが同じプランテーション経済の中で生産され、その体系は奴隷労働に大きく依存していた。

    重要なのは、その産業がどの植民地圏に置かれていたかで、市場や輸出先、設備、制度の発達する経路も分かれていったことだ。

    英語だから、フランス語だからこの味になったのではない。言語と生産伝統が、同じ植民地史の上に重なって残ったのである。

    言語は味の原因ではない。ただ、どの歴史圏と結びついてきたかを知る手がかりにはなる。

    キューバ、マルティニーク、ジャマイカ——三つの土地で別の標準が育った

    三つの伝統を理解するには、味の形容詞より、それぞれの土地で何が起きたかを見るほうが早い。

    キューバ——軽い原酒を育てた系譜

    ユネスコの記録では、キューバの「ライトラム」の伝統は1862年、サンティアゴ・デ・クーバに始まったとされる。現在の「Cuba」GI仕様では、キューバ産サトウキビから得た糖蜜を原料とし、白樫の樽で熟成することが定められている。

    糖蜜から比較的軽い原酒をつくり、熟成とブレンドで仕上げる。その考え方がキューバの一つの標準になった。

    マルティニーク——製糖危機がサトウキビ汁を押し出した

    マルティニークで発達したのは、糖蜜ではなくサトウキビ汁を直接発酵・蒸留するrhum agricoleだ。AOCの資料では、1884年から1896年の製糖危機で競争力を失った一部の農園が砂糖生産をやめ、サトウキビ汁からのラム生産へ転換した経緯が記されている。現在のマルティニークAOCもrhum agricoleに限定される。

    砂糖をつくる条件の変化が、ラムに使う原料まで変えた。

    ジャマイカ——発酵そのものが個性になった

    ジャマイカでは、一部の蒸留所が長い発酵や酵母・細菌の働きを利用し、高いエステルを持つ原酒をつくってきた。蒸留や熟成より前の段階、つまり発酵の設計そのものが強い個性を生む。ただし、ジャマイカのラムがすべて高エステルというわけではない。

    3分類は地図にはなる。境界線にはならない

    ここまでの三つは代表例であって、定義ではない。実際の産地を見ると、輪郭はすぐに崩れる。

    グアドループやレユニオンでは、サトウキビ汁を使うrhum agricoleだけでなく、製糖由来の原料を使うrhum de sucrerieも認められている。フランス語圏だからアグリコール、とはならない。

    グアテマラのRon de Guatemalaは、糖蜜ではなく「virgin sugar cane honey」と呼ばれるサトウキビ由来の濃縮糖液を使い、高地で熟成する。GIには複数のSoleraカテゴリーがあるが、それはグアテマラ固有の規則であって、ronという語そのものがソレラを意味するわけではない。

    典型を知る価値は、例外を弾くことではなく、例外がなぜ生まれたかを見えるようにすることにある。

    三つの伝統は、地域史を読むための地図としてよく機能する。ただし個々のボトルを自動的に振り分ける境界線ではない。

    RUM、RHUM、RONという綴りは、味の答えではなく、その酒がどの言語圏・歴史圏と結びついているかを考える最初の手がかりだ。次に産地を見て、原料を見て、発酵と蒸留、熟成とブレンド、そして産地の規則を見る。三つの箱に分けるより、その順に視線を進めるほうが、目の前の一本はよく見える。

  • ジンに熟成が必須でない理由。ウイスキーとの違いを製法と規則から読む

    ジンに熟成が必須でない理由。ウイスキーとの違いを製法と規則から読む

    なぜジンは熟成を必須としないのか。ウイスキーとの違いは「完成条件」にある

    ウイスキーには、樽で三年以上寝かせなければ名乗れないという決まりがある。EUの規則では、木樽の容量まで指定されている。ところが同じ規則の中で、ジンには最低熟成年数の定めがない。

    同じ蒸留酒でありながら、片方は年数が条件で、もう片方は条件にすらならない。この差は、手間の掛け方の違いなのだろうか。

    熟成は、蒸留酒に共通する「完成条件」ではない

    EU規則でウイスキーと名乗るには、最終蒸留物を700リットル以下の木樽で三年以上熟成させる必要がある。熟成は品質を高めるための努力目標ではなく、そう名乗るための条件に組み込まれている。

    一方、同じ規則がジンに求めるのは、ジュニパーベリーによる香味づけと、味においてジュニパーが優勢であること、そして最低アルコール度数などである。樽についての年数要件は出てこない。

    ウイスキーにとって熟成はカテゴリーの一部だが、ジンにとってはそうではない。 ここで比べているのは製造者の熱心さではなく、その酒が何をもって「その酒」と認められるかという定義の設計である。

    樽で寝かせていないジンを「工程が足りない酒」と見る前に、そもそも同じ物差しを当ててよいのかを疑ったほうがいい。

    樽に入る前に、ジンの香味の骨格はできている

    ではジンは、何によって個性を得ているのか。

    EUの「Distilled gin」では、アルコール度数96%以上の農産物由来エチルアルコールを、ジュニパーやそのほかの天然植物とともに蒸留する方法が定められている。ジンの香りを分析した研究では、テルペン類を中心とする多数の香気成分が確認され、使う植物の違いが完成したジンの香りの輪郭に影響することが示されている。

    さらに、ジュニパーを使った蒸留実験では、植物の使用量や仕込み量などの条件によって、抽出されるテルペン類の濃度が変化した。なかでも植物の比率は大きな影響を示している。

    ジンにおける設計変数は「どれだけ置くか」ではなく、「何を、どんな条件で香りとして取り込むか」にある。 樽に入る前の段階で、その酒らしさの骨格はすでにつくられている。

    ジンに熟成工程が欠けているのではない。熟成を待たずとも、その酒らしさを組み上げることができるのだ。

    樽は、足りないものを埋める装置ではない

    蒸留酒を木樽に入れると、木の成分が酒へ溶け出し、酸化や成分同士の反応が進み、アルコールや水の一部が蒸発する。これらの研究の多くはウイスキーやブランデーを対象にしたもので、ジンで同じ変化が同じように起こるとまでは言えない。

    ただ、樽が中身を保存するだけの場所ではなく、酒を変化させる場所であることは分かる。

    そう考えると、ジンを樽に入れる意味も見えてくる。それは未完成の酒を完成させるというより、すでに組み上がったボタニカルの香味に、木由来の要素を重ねる作業に近い。

    だから、樽を使わないという判断は単なる手間の省略ではない。植物の香りを主役に置きたいなら、木の要素を加えないこと自体が一つの選択になる。熟成の有無だけで、品質の上下は決まらない。

    「ジンは熟成できない」を、実在する製品が崩す

    規則の側から見ても、ジンと樽は矛盾しない。米国の連邦規則は、ジンについて「オーク容器で熟成してもよい」と明記する。一方で、主たる特徴的な香味はジュニパーベリー由来であることを求めている。樽に入れたからといって、ジュニパーの中心性がなくなるわけではない。

    実際の製品もある。フィンランドのKyrö Distilleryは「Kyrö Dark Gin」を新しいアメリカン・ホワイトオーク樽で熟成させ、さらにオレンジピールとブラックペッパーの蒸留液で仕上げている。

    樽で寝かせ、そのあと再びボタニカル由来の要素で整える。この順番を見ると、樽は必ずしも「最後に完成させる工程」ではない。少なくともこの製品では、木の香味もまた、加えるべき一要素として扱われている。

    正確に言えば、ジンは熟成しない酒ではない。熟成を必須としないが、目的があれば熟成することもある酒だ。

    「熟成しない酒」と「熟成する必要がない酒」は、まったく違う。次に蒸留酒の棚を眺めるとき、年数の表示がない酒を見て、そこに何かが欠けていると考える必要はない。

    見るべきなのは、その酒らしさがどの工程でつくられているのか、である。ジンの場合、その答えは樽よりずっと手前にある。

  • シェリー樽とは? ウイスキー熟成を変える木の履歴とシーズニング

    シェリー樽とは? ウイスキー熟成を変える木の履歴とシーズニング

    シェリー樽には何が残る? ウイスキーを変える「木の履歴」

    グラスに注がれる前、ウイスキーは何年も樽の中にいる。その樽に「シェリー」と名前がついていると、多くの人は琥珀色のワインが染み込んだ木を思い浮かべる。

    ところがスコッチの製品仕様では、前の中身を空にしてから樽を使うことが求められている。液体を出してしまったあと、その樽が「シェリー樽」であることの意味は、どこに残っているのだろう。

    シェリーは「甘いワイン」の名前ではない

    まず、シェリーという言葉そのものが少し誤解されている。これはスペイン南部ヘレス周辺の産地と規格に結びついた保護名称であり、ひとつの味を指す言葉ではない。

    フィノは、酒の表面を覆う酵母の膜「フロール」の下で熟成する辛口。オロロソはフロールを形成させず、酸素と関わりながら熟成する辛口だ。一方、ペドロ・ヒメネス(PX)は、ブドウを天日干しして糖を濃縮してつくられる甘口である。

    つまり「シェリー樽」と一括りにした時点で、中に入っていたワインの性格はすでに大きく枝分かれしている。

    樽に残る主役は、液体ではなく木の履歴

    オーク樽は、中身を保存するだけの容器ではない。蒸留酒が長く木と接するあいだに、木から成分が溶け出し、酒との反応が起こり、一部の成分は失われていく。シェリーが関わらなくても、オークはウイスキーを変える。

    では、シェリーは何をしているのか。

    樽を一定期間シェリーと接触させる「シーズニング」という工程がある。2023年に発表された樽材の研究では、シーズニング後の木から、もともと木に含まれていた成分の一部が減る一方、シーズニング前には検出されなかったワイン由来の有機酸やエステルなどが見つかった。

    木から出ていくものと、木へ入ってくるものが、同時に起きている。

    そのあとウイスキーが接するのは、新しいオークではない。一度ワインによって状態を変えられた木材だ。シェリー樽の意味は、残ったワインだけではなく、シェリーとの接触によって変化した木そのものにもある。

    ただし、この研究が調べたのは樽材であって完成したウイスキーではない。木に見つかった成分が、そのまま同じ量で酒へ移ることを示した研究ではない。

    ワインが違えば木も違う。ただし香味は一対一では決まらない

    同じ研究では、フィノ、オロロソ、PXでシーズニングした木材が、それぞれ異なる化合物の構成を示した。12か月シーズニングした材と60か月の材にも違いがある。使ったワインと接触時間は、木にとって無意味な条件ではない。

    とはいえ、その差だけから完成したウイスキーの香りを言い当てることはできない。オークの種類、木の加熱処理、シーズニング期間、そしてウイスキーに何度使われた樽なのかが重なってくる。

    1993年のスコッチ樽材の研究でも、樽を繰り返し使うことで、木から抽出できる成分が減っていくことが示されている。樽は同じ名前のままでも、使われるたびに同じ働きをするわけではない。

    「オロロソ樽」という表示は、答えではなく変数のひとつだ。

    昔の輸送樽と、いまのシーズニング樽は同じではない

    シェリー樽とスコッチの関係は、もともと香味設計から始まったわけではない。

    19世紀、シェリーは樽に詰められて英国へ運ばれ、現地で瓶詰めされた。空になった輸送樽がスコッチの熟成へ回り、19世紀半ばにはそうした樽の取引が定着していく。

    その構造は20世紀後半に変わった。1980年代初頭、シェリーの原産地外での瓶詰めが禁じられ、英国へ自然に流れていた空樽の供給は細っていく。現在は、ウイスキーなどでの使用を前提に樽をつくり、ヘレスでシェリーによって意図的にシーズニングする仕組みが定着している。

    ヘレスの規制委員会が運用するSherry Cask®認証では、シーズニングは原則として最低1年。使用したワインや期間も認証情報として管理される。これはSherry Cask®という認証の基準であり、「シェリー樽」という一般的な表現そのものの一律基準ではない。

    かつてシェリー樽は、ワイン輸送の副産物だった。いまでは、ワイン産業とウイスキー産業のあいだで意図的につくられ、供給される樽でもある。

    次にラベルで「シェリー樽熟成」の文字を見たら、そこに書かれていないことを想像してみるといい。どのシェリーで、どれくらいの期間、どんなオークを、何度目に使ったのか。

    樽の前歴とは、何が入っていたかの記録だけではない。その液体が、木をどう変えたかの記録でもある。

  • ラムと葉巻はなぜ定番? キューバで結びついた歴史

    ラムと葉巻はなぜ定番? キューバで結びついた歴史

    ラムと葉巻は、いつから「キューバの定番」になったのか

    ハバナで開かれる葉巻の祭典では、キューバ産のラムと葉巻が「キューバというアイデンティティの組み合わせ」として公式に並べられる。今では、その光景に違和感を持つ人はほとんどいない。

    では、この組み合わせはいつからのものなのか。

    二つを結んでいるのは、味より先に商品史だった

    ラムは17世紀のカリブ海で、砂糖生産の副産物を発酵・蒸留する酒として発展した。17世紀半ばのバルバドスにはすでにラムの記録があり、やがて大西洋を動く商品になっていく。

    一方のタバコも、キューバから世界へ出ていく重要な商品だった。19世紀にはピナール・デル・リオを中心に生産が拡大し、1934年の米国国務省文書でも、砂糖に続いて「キューバの生産で第二に重要」と位置づけられている。

    つまり、ラムと葉巻の背後にあるのは、同じ大西洋交易圏で動いていた砂糖とタバコである。両者は「一緒に楽しまれたから近づいた」のではなく、まず同じ経済のなかで隣り合っていた。

    その経済は、優雅なものではなかった。カリブ海の砂糖生産は奴隷労働と深く結びつき、近年の研究は19世紀キューバのタバコ栽培でも多数の奴隷が働いていたことを改めて示している。フェルナンド・オルティスが1940年の『キューバの対位法——タバコと砂糖』で二つを対置したのも、特産品の比較ではなく、それらを通してキューバ社会を読むためだった。

    19世紀、二つの「キューバ製品」が輪郭を持った

    ただし、同じ経済圏にあることと、一組に見えることは違う。

    1873年刊行のウォルター・グッドマンの旅行記には、ハバナのカフェで売られる葉巻や、天井近くまで箱が積まれた倉庫が描かれている。彼の目には、タバコがすでに街を語る代表的な商品として映っていた。

    ラムの側にも変化があった。EUで公表された「CUBA」ラムの地理的表示資料は、ラムそのものがキューバ発祥ではないと明記する一方、19世紀のキューバで軽く繊細なスタイルが発展したと説明している。1862年にはサンティアゴ・デ・クーバで、軽く透明な高品質ラムがつくられていたという。

    キューバが持っているのはラムの発明者という座ではなく、独自のスタイルを育て、世界に印象づけた歴史のほうだ。

    同じ19世紀に、ラムと葉巻はそれぞれ独立して「キューバらしいもの」になった。まだ、必ずしも一組ではない。

    葉巻の相棒は、ラムだけではなかった

    ここで、話は一度反転する。

    1888年にニューヨークで刊行された上流社会向けの作法書では、晩餐後、喫煙する男性客にリキュール、コニャック、葉巻、紙巻きが供されると説明されている。酒と葉巻を食後に楽しむ習慣はあった。しかし、そこにラムの名前はない。

    ハバノス・フェスティバルでも、葉巻はラムだけでなくアルマニャックやリオハのワインなど、さまざまな酒と組み合わされてきた。

    **「葉巻の古典的な相棒はラムだけ」という歴史ではない。**少なくとも確認できる史料からは、ラムと葉巻の組み合わせを「誰かが始めた一つの習慣」に還元するのは難しい。

    「キューバ体験」の中で、二つは近づいた

    では、現在のセット感はどこから来たのか。

    一つの手がかりが、20世紀の観光にある。米国で禁酒法が始まった1920年代、酒や娯楽を求める米国人旅行者がハバナを訪れ、バーやホテルなど観光都市としての空間が拡大した。

    同じ頃、葉巻もキューバを外へ伝える記号になっていた。1927年、ハバナからキーウェストへ飛んだパンアメリカン航空の初期航空郵便の封筒には、キューバ葉巻を称える宣伝文句が入っている。

    禁酒法がラムと葉巻のペアリングを発明したわけではない。ただ、酒、葉巻、夜の娯楽が、一つの「ハバナ体験」のなかで消費される状況は強まった。別々に育った二つのキューバ商品が、同じ風景のなかで見られる機会が増えたのである。

    そして現在、その結びつきを明確に言語化しているのが産業自身だ。2016年のハバノス・フェスティバルでは、ハバノスとハバナクラブのペアリングが「キューバのアイデンティティ」を結ぶものとして打ち出された。

    いま見慣れたラムと葉巻の並びは、古い民俗習慣がそのまま残ったものというより、交易、観光、そしてブランドによって少しずつ形づくられてきた。

    バーの棚で二つが並んでいるとき、そこにある関係は味覚だけでは説明できない。嗜好品の「定番の組み合わせ」は、ときに舌より先に、歴史がつくっている。