なぜジンは熟成を必須としないのか。ウイスキーとの違いは「完成条件」にある
ウイスキーには、樽で三年以上寝かせなければ名乗れないという決まりがある。EUの規則では、木樽の容量まで指定されている。ところが同じ規則の中で、ジンには最低熟成年数の定めがない。
同じ蒸留酒でありながら、片方は年数が条件で、もう片方は条件にすらならない。この差は、手間の掛け方の違いなのだろうか。
熟成は、蒸留酒に共通する「完成条件」ではない
EU規則でウイスキーと名乗るには、最終蒸留物を700リットル以下の木樽で三年以上熟成させる必要がある。熟成は品質を高めるための努力目標ではなく、そう名乗るための条件に組み込まれている。
一方、同じ規則がジンに求めるのは、ジュニパーベリーによる香味づけと、味においてジュニパーが優勢であること、そして最低アルコール度数などである。樽についての年数要件は出てこない。
ウイスキーにとって熟成はカテゴリーの一部だが、ジンにとってはそうではない。 ここで比べているのは製造者の熱心さではなく、その酒が何をもって「その酒」と認められるかという定義の設計である。
樽で寝かせていないジンを「工程が足りない酒」と見る前に、そもそも同じ物差しを当ててよいのかを疑ったほうがいい。
樽に入る前に、ジンの香味の骨格はできている
ではジンは、何によって個性を得ているのか。
EUの「Distilled gin」では、アルコール度数96%以上の農産物由来エチルアルコールを、ジュニパーやそのほかの天然植物とともに蒸留する方法が定められている。ジンの香りを分析した研究では、テルペン類を中心とする多数の香気成分が確認され、使う植物の違いが完成したジンの香りの輪郭に影響することが示されている。
さらに、ジュニパーを使った蒸留実験では、植物の使用量や仕込み量などの条件によって、抽出されるテルペン類の濃度が変化した。なかでも植物の比率は大きな影響を示している。
ジンにおける設計変数は「どれだけ置くか」ではなく、「何を、どんな条件で香りとして取り込むか」にある。 樽に入る前の段階で、その酒らしさの骨格はすでにつくられている。
ジンに熟成工程が欠けているのではない。熟成を待たずとも、その酒らしさを組み上げることができるのだ。
樽は、足りないものを埋める装置ではない
蒸留酒を木樽に入れると、木の成分が酒へ溶け出し、酸化や成分同士の反応が進み、アルコールや水の一部が蒸発する。これらの研究の多くはウイスキーやブランデーを対象にしたもので、ジンで同じ変化が同じように起こるとまでは言えない。
ただ、樽が中身を保存するだけの場所ではなく、酒を変化させる場所であることは分かる。
そう考えると、ジンを樽に入れる意味も見えてくる。それは未完成の酒を完成させるというより、すでに組み上がったボタニカルの香味に、木由来の要素を重ねる作業に近い。
だから、樽を使わないという判断は単なる手間の省略ではない。植物の香りを主役に置きたいなら、木の要素を加えないこと自体が一つの選択になる。熟成の有無だけで、品質の上下は決まらない。
「ジンは熟成できない」を、実在する製品が崩す
規則の側から見ても、ジンと樽は矛盾しない。米国の連邦規則は、ジンについて「オーク容器で熟成してもよい」と明記する。一方で、主たる特徴的な香味はジュニパーベリー由来であることを求めている。樽に入れたからといって、ジュニパーの中心性がなくなるわけではない。
実際の製品もある。フィンランドのKyrö Distilleryは「Kyrö Dark Gin」を新しいアメリカン・ホワイトオーク樽で熟成させ、さらにオレンジピールとブラックペッパーの蒸留液で仕上げている。
樽で寝かせ、そのあと再びボタニカル由来の要素で整える。この順番を見ると、樽は必ずしも「最後に完成させる工程」ではない。少なくともこの製品では、木の香味もまた、加えるべき一要素として扱われている。
正確に言えば、ジンは熟成しない酒ではない。熟成を必須としないが、目的があれば熟成することもある酒だ。
「熟成しない酒」と「熟成する必要がない酒」は、まったく違う。次に蒸留酒の棚を眺めるとき、年数の表示がない酒を見て、そこに何かが欠けていると考える必要はない。
見るべきなのは、その酒らしさがどの工程でつくられているのか、である。ジンの場合、その答えは樽よりずっと手前にある。